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「自分は恵まれている」という感覚は必要かー“世界の果ての通学路”を鑑賞して

世界の果ての通学路
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図書委員主催の自主講座で映画を鑑賞しました。

※ 自主講座とは課業以外で自主的に講座を開くことです。

映画は「世界の果ての通学路」でした。

たんたんと事実が映しだされているような作品でした。

トップ画:「世界の果ての通学路」 | The Wind Knows My Name

別に自分は恵まれているんだよ、というメッセージはなかった

通学のために過酷で長い距離を歩く幼い子どもたちが映しだされています。

数人の友人に感想を聞いてみました。

・学校教育って素敵だな

・自分、もっと頑張れるね

・任国ではこういう子どもたちに何が与えられるかな

・別に自分は恵まれているんだよ、というメッセージはなかった

など人それぞれ感じ方が違って面白かったです。

世界の果ての通学路

引用元:ドキュメンタリー?と疑ったが・・・「世界の果ての通学路」: キユーピーBGMの独り言

「自分は恵まれている」という感覚は必要か

僕は映画を見て「自分は恵まれている」という感覚は必要か、ということを考えていました。

先日、野外訓連を受けた後にはご飯が出てくるって本当に素敵なことだなと感じられました。

□参考記事:[1食50円の野外訓練]便利さの変わりに失ったもの。本当の“いただきます”とは。

しかし、その思いは継続することはありませんでした。

次の日になるとまた当たり前にご飯が出てくる日常に戻ってしまいます。
 

今回映画を見て「僕は恵まれているんだ、もっと頑張れる」と思ったところで、僕の場合すぐにその思いは消沈してしまいそうです。

その時ばかり変わっても、その思いが継続しなければあまり意味のあることに思えません、

言葉選びの違和感

青年海外協力隊の一員として身をおいていると、“弱者”、“貧しい”、“途上国”といった言葉をよく聞くようになりました。

これに関して僕は猛烈な違和感を感じざるを得ません。

「お前、何様だよ!」って心の内で思ってしまいます。

何が弱者で、何が貧しいんでしょうか。

経済的には確かに貧しいのかもしれません。

でも、日本よりずっと心豊かに生きているということをよく聞きます。

経済的な尺度だけで測ってももうナンセンスな気がします。

世界の果ての通学路

引用元:ドキュメンタリー?と疑ったが・・・「世界の果ての通学路」: キユーピーBGMの独り言

自分の目で見なければわからない

今こうして記事に書いてあることも現実を見て、意見を180度変えるかもしれません。

そればっかりはやっぱり見ないとわからないことでしょう。

映画の場合、確かにリアリティがありましたが、どこかで「これ、どうやって撮影したんだろう」という思いが浮かんできてしまいました。

インドの現実をみて、僕なりの発信を出来ればと思っています。

そしてそれができることを僕は楽しみにしています。

もっと楽しく!


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