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[佐藤靖晟]高校ベンチ外の屈辱から、イタリア・サッカーアカデミー得点王へ。

夢をあきらめない
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先日、僕のブログにイタリアから連絡が来た。

19歳でサッカーに挑戦しているノブからだった。

来たメッセージはこうだった。

いきなりすみません!

佐藤 靖晟と申します!

現在19歳でイタリアでサッカーをしてます!
 

<中略>
 

日本の大学へは通っていません。

通う選択をしませんでした。

僕は自分の知らないことを知ったりするのが大好きです。
 

依頼というのは変ですが、お友達にしていただきたいと思い、連絡しました。

まずメッセージを貰えること事態が特別なことだと認識している。

だから基本的には、メッセージには極力応えたいと思っている。
 

そして来たメッセージがこれである。

とても熱量を感じた。

本当に嬉しかった。

きっとイタリアに行き、ノブに会うことを約束した。

ノブ、日本に一時帰国

その後たまにやりとりを継続した。

そしてノブはシーズンオフの間に、日本に帰ってくるそうだった。

せっかくの機会なのでと会うことになった。
 

僕のブログに連絡をくれる人は基本的に変だったり、優しかったり、面白い人が多い。

でも今まで会ってきた中でノブはちょっと違った。

19歳の若さ、情熱、そして19歳にしては大きすぎる経験、挫折。

その話を聞いている時はまるで、情熱大陸を聞いているようだった。

事実、鳥肌が立つほどだった。
 

僕は今後ノブが大きく飛躍することを願っている。

ここまでの経験をしたノブは、簡単に大物になれると思っている。

僕なんかではなく、大きなメディアに早く取り上げられてしまえばいいと思う。

そういう事態を僕は心から望んでいる。
 

僕の文章でノブの大いなる挑戦を表現しきれるかに不安を覚える。

だが、この文章は僕の全身全霊を持って書き上げていきたい。

第1章 小学校の恩師の「お前はプロになるんだよ」という言葉

ノブがサッカーを始めたのは小学生の時だった。

背丈が一番小さく、肉付きも未熟だった。

そのため、プレー中に活躍できる機会は少なかった。
 

それでもサッカーを嫌いにはならなかった。

それは、小学校の恩師から毎日のようにかけられる言葉があったからだ。

「お前はプロになるんだよ」

可能性だけを見てくれる恩師に出会った経験は、本当に大きかった。
 

誠に残念なことに、その恩師は小学校6年生の時に、亡くなられた。

いつも笑顔でこの言葉を掛けてくれた恩師の顔が忘れられなかった。

後にこの言葉は、ノブの不遇の時に大きな拠り所となる。

第2章 中学校の恩師の「普通にやるなら帰れ!」という指導

中学校はなかなかの強豪校だった。

コーチが革新的な非常にユニークな指導をした。

「普通にやるなら帰れ!」

この言葉をよく選手に投げかけた。
 

無難なプレーを選択する姿勢を許さず、いつも挑戦させようとし続けた。

普通のサッカー少年たちに常に

「ネイマールやメッシならどうするか」

という前提で物事を考えさせた。

この指導法が本当に面白く、ノブはどんどんサッカーにのめり込んでいった。
 

もっとうまくなりたい一心で夢中でサッカーに取り組んだ、

でも同じポジションには県選抜選手がいた。

レギュラーにはなれず、ベンチで戦況を見守るのが多かった。
 

そんな状況の時に、高校の監督がスカウトに来た。

スカウトに来た監督はノブのプレーを見て、すぐに中学校のコーチを説き伏せに行った。

「ウチの学校に入った暁には、1年生からレギュラーにします。」

監督は毎週のように学校に来るようになり、説得を継続した。

その熱意に打たれ、結局ノブはその高校に進むことになった。
 

これまでのノブは本当に指導者に恵まれていたのだった。

第3章 絶望を味わった高校3年間

[1]約束通り1年生レギュラー獲得

パスサッカーが主流の中、ノブは自分で仕掛けるドリブルを得意としていた。

監督はそのドリブルによるアクセントがチームに欲しく、ノブ獲得に熱心だったのだ。
 

高校に進学すると約束通り3年生の試合によく出してもらえた。

ノブは1年生で3年生の試合に出ているものだから、必死に食らいつこうとした。

でも1年生の冬ころになると、監督がドリブルに飽きたのか、ノブを起用しなくなった。
 

やろうとしているサッカーが普段見ている海外のサッカーと全く違った。

中学生の時に世界基準で考えようとクセづけた恩師とは正反対だった。
 

また、練習中に笑うだけで「歯を見せるな!」と怒られ、

スタッフ陣は「誰が出ても同じサッカーをしろ」と言う。

「ドリブルは必要ない。パスができればいい」とも言い始めた。

サッカーは1人変わっただけで変化するはずだ。

同じようなタイプの選手をならべ、皆同じことをして、厳しく訓練する。

まるで軍隊のようだった。
 

ノブは「この環境でやっても、もう無理だ。」

と思うようにまでなってしまった。

ノブはそれからずっと5軍のチームに在籍させられた。

[2]なにもしなくても涙が出る状況、俺はなぜサッカーを続けるのか

新入生が入ってくるとそのチームで一緒に練習させられた。

そして公式戦はもちろん、練習試合にまで一切出してもらえなくなった。

遠征先の試合では、プレイヤーではなく審判を任された。

本当に屈辱だった。
 

ノブは日常生活の中、自然と涙が流れてくる状況になった。

平たく言えば、鬱だったのかもしれない。
 

なぜ俺が。
 

なぜ大好きなはずのサッカーが。
 

めまぐるしく様々なことを考えた。
 

それでもノブは諦めなかった。

その時、小学生の恩師の言葉が唯一の支えとなっていた。
 

「お前はプロになるんだよ」

 

今はなき恩師の言葉を信じ、なんとか現状に立ち向かうしかなかった。
 

[3]ブラジルで見た希望

「ここでくすぶっていしまっていてはダメだ」

そんな思いとともに、高校2年生の夏の1ヶ月間、ブラジルに単身留学することを決意した。

それがノブにとって本当に大きな経験となった。
 

日本では全く評価されないノブだが、ブラジルではとても高く評価された。

「お前は将来ブラジルで通用する」

そういった言葉をもらい、それはノブの確かな自信となった。
 

またブラジルの貧困街での経験はノブの価値観を変えた。

最初のメッセージで中略したところにはこのように書かれていた。

高校2年生の夏休みにブラジルに一人でサッカーしに行って、価値観というか何かが変化しました。

夜は銃声も聞こえるようなスラム街に住んだのですが、昼間はそんなことないかのように、皆が笑ってたんです。

日本人はお金持ちだと思われているのに、ご飯つくってくれたり、小さい子供がお菓子をくれたりするのです。

僕はそのとき泣きそうになりました。
 

日本人って恵まれすぎてるのにそれに気づいてない人がおおすぎます。

幸せとかってなんだろうとよく考えました。

幸せって自分の心次第なんだなと痛感します。

ブラジルの経験によりノブの世界は一気に広がった。

そして自分が常識だと思っていたことが音を立てて崩壊した。

これからの人生、挑戦する道を歩むことを決断した。
 

日本に帰ると部活ではろくにサッカーに取り組めなかったので、

部活中には極力体力を使わないようにした。

部活終了後には必ず公園に行き、親しい友達とずっと1対1をして練習をした。

そうして、自分のスキルの向上には妥協せず努め続けた。

第4章 新天地イタリアへ

ノブは特待生として高校に入ったため、部活を辞めることを許されなかった。

辞めてしまうと今までの学費をすべて払わなければならなくなるからだ。

そこまでの負担を両親にはさせてはならないと、自分を殺してなんとか3年間を耐え切った。
 

高校卒業後、準備を整えイタリアでサッカーに挑戦する道を選んだ。

イタリアには自分が望んでいたサッカーがすべてあった。

皆と違うことをすることが求められる。

日本のような持ち点100点からの減点方式ではなく、持ち点0からの加点方式。

いくらミスしなかったとしてもいいプレーがなかったら評価されない。

チームメイト同士サッカー中は激しく競い合っていても、日常に引きずることは一切ない。

ノブは最高の環境でサッカーに没頭している。

第5章 アカデミー得点王からの未来

1シーズンが終わった。

イタリアにサッカーを挑戦しに来ている世界中の50人の中で、ノブは得点王となった。

そしてその中で2人しか選ばれなかったチームとの契約まで漕ぎつけている。
 

中学のノブの代わりにレギュラーだったプレイヤーはもうサッカーから離れた。

高校で味わった日本独特の評価されない環境はもうない。

ノブは人生最大の挫折を経験し、現在、日の当たるステージに立ち始めている。

あきらめなければ、道は拓けるということをノブは体現し続けている。
 

僕はこの縁を大切に、きっとイタリアに行ってノブのプレーを見たい。

若き才能あふれる可能性にふれあい、僕は素晴らしい刺激をもらった。

連絡をくれたノブに、改めて感謝をしたい。

□参考:海外リーガー特集第一回 イタリアで挑戦する佐藤 靖晟選手
 

もっと楽しく!

まるも
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