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青年海外協力隊

「公人失格」ーインドに行けなかったインド人顔の65日間奮闘記

カルロス
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第1章 僕の名前はカルロス

この小説を書くにあたって、主人公であり、著者である僕のことを紹介しておく。

僕の名前はカルロス。

これはもちろん本名ではなく、あだ名である。

人によっては“小林”という本名も知らず、あだ名のカルロスだけで認識している人も非常に多い。
 

外国人でもなければ、ハーフでもクオーターでもない、純日本人である。

“準”日本人とも勘違いされてしまったこともあるが、そんなこともない。

第一、“準”日本人とはどんな存在なのだろうか。

そんな人と出会ってみたいものである。
 

これ以上この話題に言及したところでしょうがないので、話を先に進めることにする。
 

僕の経歴に触れておく。

早稲田大学の一番偏差値の高いところで有名な“政経”学部の経済学科を卒業した。

なんだか自慢に聞こえる人もいるかもしれないが、これはあくまでもこの後に訪れる転落する人生のフックに過ぎない。
 

その一方ラグビー部に在籍し、ワールドカップで一躍時の人となった五郎丸さんにタックルでぶっ飛ばされていた。

僕自身はレギュラーではなかったが、チームは1、2年生の時には日本一にもなったりしていた。
 

大学卒業後、野村證券に入社した。

このままエリート街道を突き進み、若くして父親となり、順風満帆な幸せな家庭を築きあげるのだろうと想像したりもした。

しかし、資本主義社会や大企業の実態を肌で感じることになり、わずか1年半で会社をあとにすることとなった。
 

周りからはよく“もったいない”と言われた。

“約束された年収1,000万を捨ててしまうなんて”
 

でも何がもったいないのか。

年収が全てじゃないし、会社の大きさ・福利厚生の充実具合が全てじゃない。

それを諦めることが出来ず、自分を偽りながら企業に在籍し続けている人もきっといることだろう。

そんなことに気づけた出来事となった。
 

その後、僕はなんでもいいから独立を目指した。

人を疑うことを知らない僕は、悪徳商法・ネットワークビジネスに1年間に渡って騙され続け、お年玉などで作った貯金を全て使い果たした。

その後また別に与沢翼のようなアフィリエイターに再度騙され、アイフル・アコム・レイクの3社で無職ながらも借金を100万円作った。

その100万円を業者に渡したのだが、リターンは0だった。
 

その後、SNSで知り合った投資家のもと、実績のある年下の友人が会社を起こしていたので、そこに加わらせてもらうことになった。

様々な事業にチャレンジしたが、軌道に乗らなかった。

苦しかったが、勉強になる充実した日々ではあった。
 

最後には縁もない広島で地域おこしのグルメイベントを立ち上げることになった。

僕は事業責任者として単身広島に乗り込み、4ヶ月ほど滞在した。
 

人も地も知らない場所で志さえあれば、助けてくれる人は現れるものである。

毎日知らない人に会い、知らない店に営業に行った。

するとなにも持っていない僕にも助けてくれる神様みたいな人たちがたくさん現れた。

その方々の縁で地方ラジオに2度出演させてもらい、また地方新聞に何度か記事を載せてもらった。

こういうことを奇跡というのかもしれない。
 

ただいざイベントを迎えると思ったような運営は出来なかった。

事業としては赤字、継続開催を目指していたものの撤退を余儀なくされた。
 

そして決して僕が盗んだわけではないが、帳簿上会計の数字が合わなくなってしまった。

社長に「どうしてくれるんだ」と糾弾され、僕には弁解の余地もなかった。

責任を取る形というほど美しいものでもなかったが、僕はケンカ別れのような形でまたその企業を去る選択をとった。
 

これが僕の新卒3年間で経験したあらかたの概要である。

この経験を通し、資本主義社会では生きていけないということを感じ、少しの間自分を塞ぎこむこと結果ともなった。
 

そんな時、元々興味のあった青年海外協力隊のことを思い出し、いろいろと調べ始めてみることにした。

第2章 青年海外協力隊、合格までの道のり

青年海外協力隊に興味を持ったのは中学生の頃くらいだった。

日本のODAのことを授業で学び、存在を知ったからだ。

ただその後には、全く縁はなくなった。
 
 

時は経ち大学3年生となった。

就職活動を控えた時、初めてこの道に進もうと真剣に考えた。

ただ母親は僕が選ぶ道を賛成することは出来なかった。

せっかくいい大学を出て、部活も4年間全うし、いい就職先も保証されているわけである。

だからそれを取らない手はない。

協力隊はいつだって受けることは出来るし、今ではないということだった。
 

ただ今になってみれば、この時僕が協力隊を受ける選択をしていれば、もしかしたら事態は変わっていたのかもしれない。

社会に出ていない僕は大人は皆決まって偉大な人間だと尊敬していたし、ブログだって始めていない。

運命のいたずらかどうかははわからないが、人生とはそんなものであるのかもしれない。
 
 

第1章にあるように、新卒3年間で手当たり次第に挫折をし、実家に帰ってきた。

親と生活を共にするのは実に3年ぶりだったが特に問題はなかったと思う。
 

そんな中、ひとまずネットで青年海外協力隊のことを調べてみた。

すると、その時期の応募はちょうど期限が迫っている状況だった。

書類作りが面倒そうだったので、次の時期に見送ることにした。

どうやら年に何回も応募をしているそうだったので。
 
 

幾日か経ち、再度ネットで調べて手頃な説明会に行ってみることにした。

場所は品川駅近くの立派なビルの地下だった。

会場は文句なしのきれいなところだった。

貧乏性の僕は、もらう資料一つ一つにお金がふんだんに使われているように感じるばかりだった。

全面フルカラーの分厚い資料を何冊も、協力隊オリジナルの袋に入れて手渡された。

さすが、国の事業といった感想だった。
 
 

その説明会では協力隊OBが数名が来ていて、その方たちの話が聞けた。

挨拶はもちろん現地の言葉だったため、会場に来た人たちは一様に度肝を抜かれた。

派遣国も職種も年齢も様々でとても魅力的だった。

人国から帰ってきたばかりという70歳近くの方がとても印象的だった。

一方で相談ブースも設置されていたので、僕は真っ先にそこに向かった。
 
 

それまでに全く協力隊に関して調べていなかった僕は、机越しに座る中年男性にすべてを聞いた。

「自分の経験を活かしたい」という思いがあったので、ラグビーに関係するようなものがない尋ねた。

係の人はパソコンをカタカタと叩いてくれ、なんと驚くことに「職種:ラグビー」が存在していることを教えてくれた。

これだ、間違いない!と確信し、その後適当に職種がスポーツ系だったOBの話を聞いて、その場を後にした。
 
 

帰って暫くの期間、書類作りに徹した。

僕はこういった書類を作るのが大の苦手で、なんなら目を通したくないほどだ。

なんとか地道に作り上げていく一方で、合格するためにラグビー関係者に有力情報がないか尋ね始めた。
 
 

まずは現在大学で監督を務めている後藤禎和さんに伺った。

週末はNPO法人ワセダクラブでボランティアコーチをしていたので、その際に挨拶に行った。

そうしたらOBで現在国際協力関係で働いている方を繋いて頂き、アドバイスを頂けることとなった。
 

続いて僕の現役時代に監督だった中竹竜二さんにメッセージを送ってみた。

中竹さんとの縁は長くなるが簡潔にまとめてみる。

入部直後の75kgの僕を、体重100kg以上が求められるポジションに変更した。

1年後、将来性を買われ、ラグビー専門寮に入寮を命じられた。

その後全然活躍できず、怪我も相次いだため、1年半で退寮を命ぜられた。

そこで中竹監督は任期を終え、チームを後にした。

その後4年生になった僕は退寮の悔しさをバネにではないが、1軍の試合にも出場を果たした。

大学卒業直前に中竹元監督に会うと

「俺が去った後にサンチョス(※)が活躍しているのを知って、本当に嬉しかった。

 お前はできるやつだと思っていたよ。」

(※サンチョス:当時の僕のあだ名)

と本当に嬉しそうに話してくれた。

いろいろあったが去った後でも見守ってくれていて、僕は心から感動した。
 
 

その後社会人になると、第1章でもあるように一人で広島の事業立ち上げに取り組んでいる時代があった。

僕は広報のためでもあるが、毎日Facebookで取り組んでいる姿を更新していた。

すると突然メッセージをもらった。

中竹さんからである。

「素晴らしいチャレンジだね

 何か手伝えることがあったらなんでも言ってくれ」

そんな内容だったと思う。

卒業後も僕の姿を見てくれていて、本当にありがたかった。

そして中竹さんの言葉に甘え、事業に関係する人を何人か紹介してもらった。

そんな中竹さんとの縁である。
 

僕は中竹さんに青年海外協力隊でインドでラグビーを教えることに応募すると伝えた。

すると中竹さんはおっしゃった。

「そのプロジェクトな。

 実はな、俺が担当なんだ。

 最終面接は俺だから、よろしくな!」

マジですか!

中竹さんは大学ラグビー部の監督を退いた後、日本ラグビーフットボール協会に籍を置かれていた。

年齢別の日本代表のヘッドコーチをされていたり、様々なプロジェクトのコーディネーターをされたりしていた。

また書籍を出せば、本屋の店頭で平積みされているほどで、ちっぽけな僕はそんな光景を見るたびに“すげぇなぁー”と思っていたものだった。
 

そんな最重要情報を得て、僕は書類選考に応募した。

どうやら僕は中竹さんに人生を導かれているみたいだ。
 
 

書類選考も無事通過したので、面接会場に向かった。

送られてきた書類に書かれた通り、正確な日程と場所に向かった。

会場についてみて、僕は自分が一つの誤ちを犯していることに気づいてしまった。

それは「スーツを着てこなかった」ということだ。

書類には[服装:自由]と確かに書いてはあった。

ただ普通に考えてみると、面接会場に私服で来る人はなかなかいない。

9割9部正装であった。

(しかしラグビー職種の4人中3人は私服だったという奇跡。

 決してラグビーは不適合者のスポーツでもなんでもないことを言っておく。)

一般常識がない僕は、普段の通りの格好、なんならシェアハウスに住み始めたばかりで荷物移動のために、異常に大きなバックパックを担いで面接会場に行っていたのだった。

やっちまったことはしょうがない。

僕は開き直って周りの人にどんどん声を掛け、仲良くなろうと思った。
 
 

会場は面接に向けて緊張している空気が充満していた。

ただ、僕にとっては協力隊に応募するような人に興味津々であった。

僕の前の席に“ギョウザ耳”をした凛々しい若者が座っていた。

僕は迷わず「ラグビーやってるんですか?!」と聞いた。

相手は私服で濃い顔の僕に話しかけられて面食らっていたようだったが、すぐに打ち解けて話すようになった。

彼は柔道職種の応募者で、面接が終わったら実技試験も控えているなんてことを言っていた。

ラグビーを見ることも好きらしく、ラグビー談義で盛り上がった。

そんな彼とは後に駒ヶ根訓練所で出会うことになり「あの時の!」なんてなるもんだから、運命はわからないものである。
 

他にも面接が終わった見ず知らずの人に対してノリで「Good Job!!」と親指を全力で突き立てたりもした。

その後訓練所に入ると

「あん時、カルロスに称えてもらったんやで。それが結構嬉しかったよ。いつかお礼したかってん。あん時はありがとな!」

なんてことにもなった。

これからも声はかけ続けることにしよう。
 
 

そして自分の面接になった。

ドアを開けるともちろんそこには中竹さんが座っていた。

どうすればいいかわからなかったから、ひとまず爆笑をした。

お久しぶりです、なんて話をしながらリラックスした雰囲気で面接を行った。
 

形式通り志望動機、ボランティアを通して何が出来るか、インド行きに恐れはあるかなどを聞かれた。

自分が普段思っていることを素直に話すことが出来た。

そして最後にはこんなことも聞かれた。

「広島で単身乗り込んで事業をして何か得られたか?」

わざわざメッセージまでもらって行った活動に関しても質問して頂けた。

僕は胸を張ってこう答えた。

「僕はあの時縁もゆかりもない広島という土地で、単身事業を立ち上げる経験をしました。

 もちろん苦しい思いもいっぱいしましたし、結果としては事業赤字で撤退となりました。

 でも、志さえあればなんとかなる、ということを体感しました。

 僕の姿を見て無償で手伝ってくれる人がたくさん現れました。

 僕は何も出来ませんでしたが、そういった人たちのおかげで事業として形作ることは出来ました。
 

 今回縁もゆかりもないインドに行ったとしても、僕は必ずどうにかなるということがわかっています。

 きっと素敵な協力者も現れて、活動に邁進できることでしょう。

 だから僕はインド派遣に関しては全く不安はありません。」

実に素晴らしい返答が出来たんじゃないかと自負した。
 
 

合格発表の日、僕は両親とともにアメリカに旅行中だった。

基本的に準備を怠る僕は、自分の受験番号を控えるのを忘れていった。

だから合格発表の掲示板を見ても合格か否かは定かではなかった。

ラグビー職種に受験した仲間とも仲良くなっていたので、僕の受験番号が何番か聞いてみた。

仲間曰く「小林さん、受かってますよ!」ということだったので、合格を確信した。
 
 

Facebookでインド行きのことを報告すると、たくさんのお祝いのメッセージをいただくことになった。

僕は喜びとともに、派遣前に訪れる70日間に及ぶ派遣前訓練に思いを寄せることになった。

第3章 駒ヶ根訓練所、入所

合格すると大量の書類が僕の元に送られ、大量の課題が現れた。

書類に関してあまり注意していなかったところ、突然JICAから電話がかかってきた。

「小林さんでしょうか?

 昨日期限の書類に関してなんですが、送って頂けましたでしょうか?」

あれま!やっちまった。

全力ですぐに書類を揃え、即効で送った。

それからというもの、JICAの事務所の方との電話の攻防が何度か繰り広げられた。

その節はお手を煩わせてしまい、大変申し訳ございませんでした。

どうやらJICAは心優しい組織らしく、こういった期限を守らないような人間にも暖かくサポートしてくれるようだ。
 

課題に関しても嫌々ながら、なんとか取り組み終えた。

こうして、着々と訓練所入所日を迎えていった。
 
 

入所に至るまで、すべてのやることに対して「もうこれを日本でやるのも2年間ないのか・・・」と考えるようになった。

そう考えると、一つ一つの作業がとても感慨深いものになっていった。

引越作業で長野県に訪れ帰りに野沢温泉に入ったりイベントを主催するのも最後になったり、なんだか寂しさも覚えるようだった。
 

駒ヶ根訓練所の入所式に間に合うためには、当日の朝早いバスに乗る必要があった。

そのため、前夜に渋谷に住む仲の良い友人の家に泊めてもらった。

「お前に次会うのも、もう2年後になるのか」とまた寂しい思いを感じることとなった。
 
 

一方で、Twitterで平成27年度2次隊の女の子に絡んでもらえるようになっていた。

その子は後に訓練所での生活班を共にすることになり、また訓練所において初めて怒られることになる。

当時はそんなことはつゆ知らず、Twitterのプロフィール画像を見る限りかわいい子だったので、嬉しく対応させてもらっていた。

その後Facebookで「平成27年度2次隊の同期隊員のコミュニティ」なるものの存在を教えてもらった。

すぐに許可をもらい、参加させてもらうこととなった。
 

参加したらまず皆一様に自己紹介をしていた。

皆の自己紹介があまりにもありきたりで面白くないと感じてしまった僕は”ここでぶっ込んだら面白い”と思った。

アイディアは即実行、遠慮なくぶっこませていただいた。

“駒ヶ根マジック”にかける男・カルロスです。

(本名は小林勝宗と申します。)

たぶん、インドでラグビーを教えます!

ブログやっているので、良かったら宜しくお願いします( ´ ∀ ` )

「結ばれた人たちはすぐに別れる運命にある・・・」それが“駒ヶ根マジック”!!

反応は上々だった。

「ハンパなくチャラいっ☆」「これって体育隊員のノリ??笑」

なんてコメントを頂いたので、僕は全力でリンクを添えて謝罪することにしました。

全然チャラくないっす!

ファンに手を出しました。5ヶ月ぶりの◯◯クスでカルロスはイケたのか?!

その後、わざわざかわいい子からメッセージが来たりして、やっぱり迷ったらGOだと感じたものだった。
 

その後訓練前夜、僕は渋谷の友人宅に居たわけだったが、なにやら前夜祭なるものが各地で勃発することがわかった。

訓練所に入所する前に、訓練生同士の親交を深めようといった目的だった。

そのムーブメントに便乗した僕は「カルロスと会える人、挙手っ!!」というイベントを立ち上げた。

東京前夜祭という意味である。

イメージとしてはCMでよく放映されていた、戦隊ヒーローの「後楽園で僕と握手っ!」である。
 

名古屋、駒ヶ根、二本松で盛大に前夜祭が行われていた。

しかし東京前夜祭はというと、前日に急遽作ったため誰も集まることはなかった。

東京以外でリア充な画像がどんどんアップされてきた。

その流れに乗った僕は、一人で逆立ちして大股を開き「東京前夜祭はこんな感じで〜す!」と画像付きで投稿しておいた。

いつも通りスベり気味だったが、僕としてはやることはやったので満足だった。
 
 

7:00台に新宿から出発するバスに乗り、駒ヶ根訓練所に向かった。

本当に忘れ物はないか、これで本当にインドに行けるのか、いろいろ不安はよぎっていた。
 

駒ヶ根駅についてバスを降りると、大きな荷物を抱えた人が何人かいた。

声を掛けてみると、駒ヶ根の訓練生だった。

新宿から乗る時も「この人、訓練生かな」と思っていた美しい女性も例に漏れず訓練生だった。

さっそく自己紹介をしながら、訓練所行きのバスをゆっくりと待つことにした。
 

訓練所行きのバスが来て、乗り込むと僕の顔を見て反応を示してくれる人が多数いた。

Facebookであらかじめ、僕のことを見ていてくれたからだった。

「ユア ネイム イズ?」と坊主頭のイカツイ身体つきの強面が聞いてくれた。

僕のFacebookのプロフィール画像に「My name is カルロス!」と表記されているためだろう。

駒ヶ根の前夜祭のリア充写真に写り、一際目立っていたので、僕も認識していた。
 

バスでは、駒ヶ根駅で知り合った美しい女性と隣に座って訓練所に向かった。

話してみると一つ年下であり、なんと同じ大学の後輩であることが判明した。

大学の話などで話は弾み、いろいろなことを話すことが出来たと思う。

新しい人との出会いは僕にとって実に楽しいものだった、美しい女性だったし。

そしてその後気づくことになるのだが、その女性は同じ生活班として、訓練生活を一緒に過ごすことになった。
 
 

訓練所に着くと、受付を済ませ、自室に荷物を運んだ。

荷物を運んでいる時に「あれ、もしかしてカルロスさんですか?」と話しかけてくれた。

愛くるしい笑顔で見るからに若い青年である彼は、隣の部屋の住人だった。

「Facebookで見てて、面白かったので、絶対話したいと思ってたんですよ!

 まさか隣なんてビックリしました!」

そんな事を言ってくれた。

彼と話して驚いたのは、彼の家は僕の実家の最寄り駅の隣駅で、そのため卒業した中学校も隣であり、さらに今回の派遣予定国もバングラデシュでインドの隣の国だった。

部屋、最寄り駅、派遣国が全て隣なんて非常に驚いた。

そして後にわかるのだが、彼とは同じ生活班であった。

これからの訓練生活では、彼とほとんど行動を共にすることになり、また彼は新卒だったから、僕は彼を舎弟扱いすることにした。

舎弟といってもこき使うことも(あまり)なく、ただ一緒に行動を共にしたくらいだ。

体育会気質でなんでも「ハイッ!」と答えるような実に可愛いやつだった。
 

女性棟は奥に位置し、階数で言うと4階から6階にあった。

2ヶ月分の荷物は大きく、階段しかないため女性には非常にキツそうであった。

僕は自分の部屋がなぜか女性棟の4階に位置していたこともあり、僕が通った際に見かけた女性の荷物を何回も6階まで運んであげた。

普段から引越をしていた僕にとってはそんなに辛い作業ではなかったが、手伝った女性からは深く感謝されたので良かった。
 
 

その後、講堂に訓練生が全員集合し入所式が執り行われた。

僕の座席は最前列の一番左から2番目に位置していた。

左にはインド派遣予定の女性、真後ろにはスリランカ派遣予定の女性が座っていた。

スリランカ派遣予定の子はとっても明るく、同い年でノリもよく、冗談を言うといつも気持よく笑ってくれた。

だから、僕は基本的によく真後ろを向いて話をしていた。
 

入所式の間の休憩の際に変な現象が起った。

それは僕のもとに「握手してくださいっ!」と列が出来たことだった。

1人で開催した東京前夜祭のタイトルを「カルロスと会える人、挙手っ!!」としてしまったばっかりに、前夜祭で握手を出来なかった人たちがわざわざ僕の元まで来たのだった。

合計10人くらいと握手したのだろうか、僕としても“これは駒ヶ根マジックに向けて好スタート”だと思ったものだった。

こうして本来なら70日間、僕にとっては65日間の駒ヶ根訓練が幕を開けたのだった。

第4章 駒ヶ根訓練所での日々

駒ヶ根訓練所生活でスタートダッシュを切った僕は、訓練生活に期待を膨らませていた。

訓練所には男女合わせて170人が生活した。
 

男女が同じ場所に70日間も一緒に生活することになる。

恋が生まれるのは一つや二つでは済まない。

この現象は“駒ヶ根マジック”と呼ばれ、僕らの代でも最終的には10組以上は生まれていたのだろう。(正確にはわからない。)

僕も駒ヶ根マジックに胸も下腹部も膨らませ、訓練所に乗り込んでいたのだった。
 
 

最初に皆の前で行う、1人30秒の自己紹介が行われた。

人数が多いので30秒経つと強制的に終わらされる自己紹介である。

舎弟は自己紹介で“敢えて名前を言わない”ということをしていた。

ちょっとウケていたようである。

他には歌を歌う人、訓練前にプロポーズをしてきた人、ダンスを踊りますと宣言して(狙って)時間制限で踊らなかった人。

全国各地から様々な人が来ていることを実感でき、非常に面白かった。
 
 

入所してすぐに語学のクラス分けテストを行い、授業が始まった。

1コマ50分の授業を基本的に午前中に3コマ、午後に2コマ行った。

僕は最上位のクラスに運良く入り、さらに運良く周りは全員女性だった。

しかし話を聞いてみると皆TOEICのスコアは600点以上、高い人で800点台、一方僕は490点。

低い点数だったため、僕は英語の事前学習が必須の生徒だったが、皆はそれは不要だった。

果たして大丈夫だろうかと心配になったものだったが、実際は大丈夫だった。
 

またインド出身のベンガル語の先生とおかしなやり取りが発生した。

先生は僕の教室を通る際に僕のことを見かけた。

そして躊躇なく僕の教室に入って生きて僕にこう聞いてきた。

先生:君はどこの出身だい?

カル:僕は日本人です!

先生:え、本当に?で、どこの国に派遣予定だい?

カル:インドです!

先生:え?インドに行くの?僕はインドで生まれ、ネパールで育ったんだけど、君はインド人じゃないの?

カル:僕は日本人です!(さっきも言った通り)

先生:両親も日本人なの?

カル:はい、日本人です!(僕が日本人であるということは両親も日本人である)

先生:え?君はハーフではないのかい?どっちかの両親がインド人とかの。

カル:いいえ、僕は日本人です!(さっきから言っているのにな・・・)

おそらくここに書いている以上にやり取りをしたと思う。

またうちの英語の先生はユニークな人だった。

このやり取りに便乗して会話に加わってきた。

「こいつはインド人だよ!」

そんなことを平気で言ってしまうものだから、話が余計こじれてしまったのだった。
 
 

語学の他に、大学の講義のような“講座”と呼ばれるものを、毎日語学以外に受ける必要があった。

JICAについて、国際協力について、任国でかかりうる病気、防犯対策、OBの話など様々な講座が用意されていた。

また、ワークショップも多数行い、プレゼンテーション手法、ファシリテーション手法、他には課外活動のように小学校訪問施設ボランティア訓練所を訪れた学生との交流スポーツ大会野外訓練など、ありとあらゆる活動が目白押しだった。
 

講座の大半はつまらないものだった。

面白いと感じられるのは全体の1割程度だったことだろう。

すでに知っていること、一般論を延々と繰り返される講座は苦痛のほか何ものでもなかった。

訓練生は語学の勉強や体力回復(睡眠)に努めていた。
 

あまりにも面白くなかった講座で僕は1度マイクを取ったことがあった。

あなたの講座はつまらない、周りでいっぱい寝ている人がいますよ。受ける人の気持ちを考えていますか?」

そう発言してしまうほど不快だった。

場は騒然としたのがわかったが、講座の後に数名から「よく言ってくれたね」と共感の声をもらった。
 

事業として考えればJICAから委託されている企業である。

国から仕事をもらうなんて大きな案件なのだろうが、これに甘えて悪い質の講座を提供している。

蓮舫議員が現状を見たら、事業仕分けで即座に予算削減されるだろう。

ひどい講座の時には講座後に取るアンケートにこういうことを書きまくっておいた。

でも先輩隊員の話も聞いたが、いくら声を上げたところでJICAのような大きな組織の体制は変わらないようである。
 
 

最初こそ語学と講座の課題の多さに疲弊してしまったが、慣れてくると宿題は1時間くらいですべて終わるようになった。

僕は英語だったので義務教育で受けてきた経験があった。

しかし、スペイン語やフランス語、ロシア語、ウズベキスタン語、ベンガル語など新しい言語を習得しなければならない訓練生は、夜通しの勢いで勉強に励む必要があった。

その傍ら僕は宿題を早々に終えて、ブログを書きまくった。

駒ヶ根訓練の出来事、自分が感じたこと、興味あることを調べるなど、どんどん書き綴っていった。

せっかくみんなのいる空間で1人では寂しいので、同い年のノッポがいるフランス語の教室をデフォルトとし、様々な教室を転々とした。

これこそノマドワーカー(ブロガー)なのだとも思った。

各教室にはみんなが買い込んだお菓子がいっぱいあったが、僕はかなりの量を消費していったと思う。

(後日、僕もお菓子を買っては気持ち程度補充させてもらった)
 
 

イベントでも一生懸命身体を張った。

スポーツ大会では開会式司会、選手宣誓、総合司会と常にマイクを持ち続けた。

競技でも今までにない斬新な競技をどんどん取り入れてみた。

長座の姿勢で歩く「お尻歩き走」は大興奮だったため、2度実施するほどだった。
 

「日本人研究」という任国に行って、日本のことを紹介するためのプレゼンテーション大会では、チームの指揮を取った。

仲間内ではいいプレゼンが出来たと称え合ったが、匿名性のアンケートでは批判が相次いだ。

匿名性の無責任さに僕はショックを受けた。
 
 

そんな具合で訓練生活に全力で取り組んでいた僕に、生活班の担当スタッフからメモ書きをもらった。

その紙には“17:00 所長室”とだけ書かれていた。

「17:00に所長室に来るようにとのことです。」

スタッフにそれだけ言われた。

なにか悪い予感がしながら、その時間を迎えることとなった。

更新継続中です

以下が予定です。

第5章 所長面談開始

第6章 警告書発動、辞退に向かう道のり

第7章 辞退後、僕の選択は正しかったのだろうか

気が向いたら書きます!
 

もっと楽しく!
 

■ ライター業務、執筆、講演会、トークイベント登壇などの問い合わせは、以下からお気軽にお願いします( ´ ∀ ` )

小林勝宗 Katsuhiro Kobayashi【Carlos】
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