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かんがえたこと

【派遣辞退】JICA青年海外協力隊、駒ヶ根訓練所、平成27年度2次隊。

【インド派遣辞退】青年海外協力隊は素晴らしい事業です
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この度、青年海外協力隊の派遣を辞退することにしました。

理由は以下の反省文がたてまえであり、自分の本心ではなかったからです。

□参考記事:【謝罪】大変申し訳ございませんでした。

なんとか書き上げた代わりに、自分の中に自分を鼓舞するものを失ってしまいました。

所長、スタッフを始め、周りから多大に応援してもらいました。

所長は反省文が仕上がってから「小林くんを、自信を持ってインドに漕ぎ着けさせる!」と断言してくださいました。

本部にいる人たちを説き伏せるために、夜な夜な資料を作ってくださっていたそうでした。

しかし、反省文が仕上がってからそれに答えられる自分がいなくなってしまいました。

お腹に痛みを抱え続け、眠れない夜を数日過ごしました。

これは周りからの批判が嫌だというわけではなく、自分に嘘をついているのが許せなかったんです。

そのことを所長に素直に伝え、本日駒ヶ根訓練所を去ることになりました。

青年海外協力隊は素晴らしい!

問題を起こし続けて、たくさんのことに直面した僕だから言えることがあります。

“青年海外協力隊は素晴らしい!”

これは間違いないです。
 

素晴らしい仲間たちがいます。

僕が辞退することを伝えると、自分のことのように泣いてくれる仲間が多くいました。

こんなに思ってくれていたなんて、一人よがりの僕は想像できていませんでした。

生活班のメンバーは夜までずっと僕を説得し続けてくれました。

中には所長に直接電話までしてくれ、取り消せないかとまで抗議してくれたそうでした。
 

訓練生思いの所長はじめ、スタッフがいます。

問題を起こし続ける僕に、本気で向き合い続けてくださいました。

悩んでいることをそのまま伝えると真摯に受け止めてくれ、何度も泣いている僕を支えてくれました。

自分の決断が正しいかどうかわからない

退所を決めてから初めて、この環境の素晴らしさにやっと気づきました。

だから今回の自分の決断が本当に良かったのかどうかわかりません。

たぶん数日、腹の痛みを抱えながら、駒ヶ根のことを思いながら悩むことになると思います。

しかしその感情を味わい、処理出来たら僕は僕の道を歩み始めることにします。

所長はこんな僕に「再チャレンジもあるぞ!」と言ってくださいました。

何をするのか、どうなることか全然わかりませんが、27年度2次隊の皆に負けないような僕でありたいと思っています。

ちくしょー、やるっきゃない!
 

すばらしい訓練でした!

写真は65日間毎日一緒に英語を学んだクラスメートとの最後の晩餐(昼)です。

以下追記

まずは協力隊に関する記事を3分類だけここで紹介します。

あまり語られない部分を理解して頂けると思います。

1.所長面談公開5選

[赤信号点灯]僕は公人という枠組みに収まりたくない!!

[インド派遣に黄色信号か]駒ヶ根トップと個人面談を実施(30日目)

「公人!公人!」と脅される。では、この国の公人たちは何をしていますか?

[批判と向き合ってみる]海外に行くツールとしての“青年海外協力隊”はそもそもの間違いか。

[前を向こう!]9人から贈られた、僕を繋ぎ合わしてくれる言葉たち。#感謝

2.駒ヶ根マジック5選

「結ばれた人たちはすぐに別れる運命にある・・・」それが“駒ヶ根マジック”!!

あの“駒ヶ根マジック”を超えし者たちが、すでにいたって話。

愛に距離はないー舎弟SO「いま、会いにいきます」

“真実の”駒ヶ根マジック。それは3段階あった。

【完結編】僕が描いた駒ヶ根マジック。“好き”という気持ちさえ伝えられなかった。

3.辞退後5選

生き方こそがアートであり、人生には痛みが伴う。

27歳息子と63歳親父の日常、鵠沼海岸にて

僕が“公人”になれなかった決定的な2つの理由。

去って知る、仲間の尊さかな。

世界に、名も知れない国に、2年間も羽ばたく、平成27年度2次隊のみんなへ
 

その他のすべての記事はこちらにまとめてあります ⇨ 記事

「公人失格」ーインドに行けなかったインド人顔の65日間奮闘記

駒ヶ根訓練所での出来事をストーリーとしてまとめています。[未完]

これを読めばきっとどういったことが行われてきたかということが分かるでしょう。

僕の身に起こった等身大の話です。

よかったらお読みください。

第1章 僕の名前はカルロス

この小説を書くにあたって、主人公であり、著者である僕のことを紹介しておく。

僕の名前はカルロス。

これはもちろん本名ではなく、あだ名である。

人によっては“小林”という本名も知らず、あだ名のカルロスだけで認識している人も非常に多い。
 

外国人でもなければ、ハーフでもクオーターでもない、純日本人である。

“準”日本人とも勘違いされてしまったこともあるが、そんなこともない。

第一、“準”日本人とはどんな存在なのだろうか。

そんな人と出会ってみたいものである。
 

これ以上この話題に言及したところでしょうがないので、話を先に進めることにする。
 

僕の経歴に触れておく。

早稲田大学の一番偏差値の高いところで有名な“政経”学部の経済学科を卒業した。

なんだか自慢に聞こえる人もいるかもしれないが、これはあくまでもこの後に訪れる転落する人生のフックに過ぎない。
 

その一方ラグビー部に在籍し、ワールドカップで一躍時の人となった五郎丸さんにタックルでぶっ飛ばされていた。

僕自身はレギュラーではなかったが、チームは1、2年生の時には日本一にもなったりしていた。
 

大学卒業後、野村證券に入社した。

このままエリート街道を突き進み、若くして父親となり、順風満帆な幸せな家庭を築きあげるのだろうと想像したりもした。

しかし、資本主義社会や大企業の実態を肌で感じることになり、わずか1年半で会社をあとにすることとなった。
 

周りからはよく“もったいない”と言われた。

“約束された年収1,000万を捨ててしまうなんて”
 

でも何がもったいないのか。

年収が全てじゃないし、会社の大きさ・福利厚生の充実具合が全てじゃない。

それを諦めることが出来ず、自分を偽りながら企業に在籍し続けている人もきっといることだろう。

そんなことに気づけた出来事となった。
 

その後、僕はなんでもいいから独立を目指した。

人を疑うことを知らない僕は、悪徳商法・ネットワークビジネスに1年間に渡って騙され続け、お年玉などで作った貯金を全て使い果たした。

その後また別に与沢翼のようなアフィリエイターに再度騙され、アイフル・アコム・レイクの3社で無職ながらも借金を100万円作った。

その100万円を業者に渡したのだが、リターンは0だった。
 

その後、SNSで知り合った投資家のもと、実績のある年下の友人が会社を起こしていたので、そこに加わらせてもらうことになった。

様々な事業にチャレンジしたが、軌道に乗らなかった。

苦しかったが、勉強になる充実した日々ではあった。
 

最後には縁もない広島で地域おこしのグルメイベントを立ち上げることになった。

僕は事業責任者として単身広島に乗り込み、4ヶ月ほど滞在した。
 

人も地も知らない場所で志さえあれば、助けてくれる人は現れるものである。

毎日知らない人に会い、知らない店に営業に行った。

するとなにも持っていない僕にも助けてくれる神様みたいな人たちがたくさん現れた。

その方々の縁で地方ラジオに2度出演させてもらい、また地方新聞に何度か記事を載せてもらった。

こういうことを奇跡というのかもしれない。
 

ただいざイベントを迎えると思ったような運営は出来なかった。

事業としては赤字、継続開催を目指していたものの撤退を余儀なくされた。
 

そして決して僕が盗んだわけではないが、帳簿上会計の数字が合わなくなってしまった。

社長に「どうしてくれるんだ」と糾弾され、僕には弁解の余地もなかった。

責任を取る形というほど美しいものでもなかったが、僕はケンカ別れのような形でまたその企業を去る選択をとった。
 

これが僕の新卒3年間で経験したあらかたの概要である。

この経験を通し、資本主義社会では生きていけないということを感じ、少しの間自分を塞ぎこむこと結果ともなった。
 

そんな時、元々興味のあった青年海外協力隊のことを思い出し、いろいろと調べ始めてみることにした。
 

第2章以降の続きはこちらから ⇨ 「公人失格」ーインドに行けなかったインド人顔の65日間奮闘記
 

こんな僕ですので、何卒宜しくお願いします!
 

もっと楽しく!

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